ところがどっこい

完全自己満書きたがりブログ

一人目の担当さん。

2回目からは「担当」について書いてみようと思います。

 

わたしの担当さんは12.3年のをたく人生の中で、現在の自担も含めて3人います。

今日はその一人目、わたしにジャニーズ!というものを教えてくれた方について。

 

現在は退所しています、KAT-TUNに所属していた田中聖です。

多分私は当時中学生。今思うとなんでそこを選んだのよ10代前半のわたし…と思います。ジャニーズ!というものを教えてくれた、と書きましたがジャニーズのイメージとは少し離れた人が初めての担当でした。今もそんなにですが、当時は今よりもっと身体が細く、髪型もチャラチャラしていてアクセサリーじゃらじゃら。仁亀が出演していたごくせんが放送されていた当時は、お決まりの「どっち派ー!?」の話がもちろんあり。私は確か亀梨かなあ、とか言っていたのですが気づけば田中聖担になっていたのです。

中学生の頃って色々ありますよね。部活、友人関係、先輩とのこと…はっきり言って自分でも今の数十倍性格が悪かったし、横着だったと思います。そこそこ勉強もできていたので(中学の時なんてたかが知れてると思うけど、当時は自分結構いけんじゃ~んフゥ~なんて思ってた)調子に乗っていました。ですが、中学生の時に初めて挫折というか、自分ではもう越えられないと思うことに直面しました。初めて少しだけ精神的にぼろぼろになって、よわよわ人間になって。いろんなことをお休みしている間、以前よりも時間ができたため家のパソコンを扱う機会が増えました。そんな時に当時タダで動画見られるらしいよ!と少しずつ噂になっていたyoutubeを見たり、掲示板(某〇〇コミュ)でKAT-TUNに触れる時間が増え…本格的に好きになっていくことに。ただここでなぜ田中聖を推し、担当として選んだのかは未だに謎です。こんな感じで今なお続くをたく人生が幕開けしました。

 

なぜ選んだのか謎、と言っているけど、田中聖の担当であったことを後悔したことは一度もありません。むしろ楽しくて楽しくて仕方がなかった。たくさん初めてをもらいました。

もしかして私本気で恋しちゃったかもしれない…(本気愛というやつです。)

カップリングって意外といい曲多いじゃーん。

ファンクラブに入らないとチケット買えないの??なんで?

 

白虎隊で黒木メイサちゃんが足に吸い付けば(足を怪我して治療するシーンがあった)人生終わったぜマジで…という感じで落ち込み、特急田中3号でキスシーンがあれば、放送終了後友達にそっこー電話してうだうだと不満を述べていた。しかも家電。当時はまだ携帯を持っていなかったので、家電でこそこそと自担への愛を語っていました。

 

初めて行ったのは漫画コンでした。兄の知り合いの兄弟(そこまで遠い人に良く頼めたなと思う。)にチケットを手配してもらい、友人と。その友人はキムタクのファンでKAT-TUNだと仁かな♡という子でした。わたしは全くジャニーズの現場について詳しくなかったので、師匠と思い誘いました。学校を早退して、その日のために用意した自分的に一番おしゃれな服を着ていった気がします。普段はかないデニムのミニスカートを履いていたため、母に「足おっぴろげるんじゃないよ!」と何度も叱られたのも今思い返すとおもしろい。

会場に向かう車の中でのことはすごくよく覚えているのに、公演中のことは実際覚えてないです。会場に向かう車の中は今までにないくらいハイテンションでしゃべり続けずっとわくわくしてました。運動会のかけっこで自分の走る番がくる前みたいな。なのに、公演中のことは本当に一切覚えていない。ただ、すごく楽しくてキラキラしていてジャニーズのすごさみたいなものを感じたことはしっかりと覚えていて。絶対に来年も行こう!!と意気込み帰宅しました。

 

あとは当時田中・田口のでんでんでやっていたラジオ。確か1日数分ずつあったような…毎日聞き、MDに録画してました。はがきもまめに送っていた気がする…その中でプレゼント企画があり、2度当選したことがあります。名前が呼ばれた時の興奮は今も忘れられない~!!ベッドでイヤホンをして聞いていたのですが、飛び起きました。とりあえず母に報告し、何かよくわからない様子でしたが一緒に喜んでくれました。確か僕らの街でのブランケットと、ハワイ土産のかわいいキャンドルだったかなあ。あれは嬉しかったです。

 

その後高校生になり、両隣の席の子が二人とも赤西担ということもあって更に愛は加速していきます。をたくの繋がりはふかーい。お互いKAT-TUNが好きだとわかった瞬間からどんどんと仲が深まっていった記憶が。当時ガラケーでテレビが見れていたので、いいともに誰かが出演する時には授業中にこっそりみんなで見たりしていた。必死ににやにやするのを堪え、電波が悪くなり画像が荒れるとアイコンタクトで合図。新曲の発売が発表されると予約して必ずフラゲ。タレコミ・K2板に張り付き情報収集をかかさない。新しい情報が発表されると授業中でも手紙やこそこそ話で伝える。部室で大声で歌う。運動会の綱引きでLOVE JUICEを流す。(当時は普通にやってたが今思い返すと爆笑してしまうやつ。あの音楽で入場させられたみんなごめん。)BANDAGEが公開された時には、放課後片道1時間かけて2回目を見に行きました。劇中の真似をして同じシーンでひたすら爆笑したりも。一番楽しかった学生時代は高校なのですが、はちゃめちゃでおかしい友人達との間にはいつもジャニーズがありました。

 

その後もツアーが発表されると祭のように踊り狂い、気づけばFC会員にもなり。初めての遠征、ネットで出会ったをた友と参戦…初めてをたくさん経験しました。

そんな中、赤西が脱退することが発表され。二人は赤西担だったこと、そして私は田中担だったもののかなりの箱推しだったたことがあり、いつのまにかKAT-TUNを少しずつ離れていました。よく10周年の時はどうするー?うちらもうバリバリ働いてるから東京ドームとか余裕で行くかなあ?北海道も行ってやろう!なんてことを日々当たり前に話し、ずっと好きでいることが当然、彼ら6人がステージに立ち続けることも当然、と思い切っていた高校生の頃。今ではもうそんな考えは持っていないのですが、当時は誰かがいなくなるなど1ミリも考えていなかったです。ある意味幸せな奴でした。だからこそ、担当ではないにしろ誰かが一人でも欠けることがしんどかった。(この時期体調を崩し学校を休みました。おもしろい。)

 

そんな感じで私の一人目の担当のお話でした。グループに所属している時も、脱退してからも彼にはいつも良くない噂が付きまとっていたような気がします。好きだったから、という贔屓目ももちろんありますが、何年間か応援しているとやっぱり人間性みたいなものも見えてくるため、その噂で彼を嫌いになることは一度もありませんでした。もちろん中には本当のこともあったのかもしれないけれど。実際写真が出てたものもあったなー。ただ、好きだからこそ見えていなかった部分、好きだからこそ貫けた部分、両方あったからこそ楽しく田中聖担ができたんだろうなーと今では都合よく考えております。

嫌いになった!とかではないのですが、退所したあとは何とも言えない気持ちでした。赤西に関してもそうなのですが、すぐにまた応援しようという気持ちにはなれなかった。担当は変わってもグループをやめても、やっぱり特別だったのでずっとかっこよく生きていてほしかった。極力見ないように見ないように…としていたのですが、SNSでいろいろな人をフォローしているとやっぱり目に入ってしまうもので。いつのまにかアカウントをちょこちょこ覗くようになり。最後に生で姿を見てからもう5.6年経った昨年末、ツアーのチケットを申し込みました。そして今月、久しぶりに彼が歌っている姿を見に行きます。ここまで3228文字、なっげえよ~と思うけど、本当はまだまだ書ききれてないことが沢山あって、いやむしろ書いてないことの方が多い!!

行く前にちょっといろいろ思い返してみて、やっぱり今は純粋に楽しみという気持ちだけ!これでまた好きになっちゃったらどうしよう~えへへ~なんて軽く考えられるようにもなったので、きっと自分的にいいタイミングなのだと思って。久しぶりのこきたん堪能してきまーす。わーい。

 

めちゃくちゃどうでもいい案件なのですが、当時恥ずかしさ(何のや)から「こうき!」と呼べず「田中さん」と呼んでいたわたしばりばり乙女やん…?